「マリア様がみてる」の紹介です。



「ごきげんよう」
「ごきげんよう」


さわやかな朝の挨拶が、澄みきった青空にこだまする。
マリア様のお庭に集う乙女達が、今日も天使のような無垢な笑顔で、背の高い門をくぐり抜けていく。

汚れを知らない心身を包むのは、深い色の制服。
スカートのプリーツは乱さないように、白いセーラーカラーは翻さないように、ゆっくりと歩くのがここでのたしなみ。
もちろん、遅刻ギリギリで走り去るなどといった、はしたない生徒など存在していようはずもない。

私立リリアン女学園。
明治三十四年創立のこの学園は、もとは華族の令嬢のためにつくられたという、
伝統あるカトリック系お嬢さま学校である。

東京都下。武蔵野の面影を未だに残している緑の多いこの地区で、神に見守られ、
幼稚舎から大学までの一環教育が受けられる乙女の園。

時代は移り変わり、元号が明治から三回も改まった平成の今日でさえ、
十八年通い続ければ温室育ちの純粋培養お嬢さまが箱入りで出荷される、
という仕組みが未だ残っている貴重な学園である。

(マリア様がみてる 序文より抜粋)




「ごきげんよう」


この作品はコバルト文庫である。だが今、この作品がXY染色体(要するにオトコだ)に非常に受けている。
ネット上の口コミで広まったこの『マリ見て』への熱は収まる所を知らず、皆が続刊を待ち望んでいる。

何故、ここまで―――そう、ブームと呼ばれるにふさわしい―――盛り上がりを見せるのか。


人はこの作品を一言で説明する時、たいてい次のような表現を用いる。

「ソフト百合だ」と。そして、

「でも、イメージとは全然違うから読んでみて」

そう付け加える。


百合、と聞いて引く人も多いだろう。百合は隠語なので意味のわからない人もごく稀にいる。
ここでの百合はガールズラブ、女の子が女の子を―――と言う意味である。
ただし、この作品は18禁ではない。そのような生々しいシーンは一切出てこない。
少女漫画の世界のような、本当にほのぼのとした暖かい世界だ。
この『マリ見て』という作品について、少しだけ語ってみようと思う。


この学園には『姉妹』(仏語でスール、と発音する)と呼ばれるシステムが存在する。
上級生と下級生の間に結ばれる、不思議な関係。
リリアン女学院に旧くから伝わる、由緒正しき伝統。
『姉妹』の契りを交わす際に、『姉』から『妹』へとロザリオの受け渡しが行われるのもまた、伝統である。

―――ロザリオはいわば、婚姻届と同じで―――

作中にこのような表現が出てくる。姉妹というよりはむしろ恋人のような関係、
それが『姉妹』というものだ。

物語は、リリアンの一年に在籍する「福沢 祐巳」(ふくざわ ゆみ)の視点で描かれていく。

リリアンを統率する生徒会、山百合会は代々、三人の代表者とその『妹』たちによって運営されてきた。

―――紅の名を冠する、『紅薔薇さま』(ロサ・キネンシス)。
―――黄の名を冠する、『黄薔薇さま』(ロサ・フェティダ)。
―――白の名を冠する、『白薔薇さま』(ロサ・ギガンティア)。

生徒会長を初めとした重役を引き受ける三年生の三人は、『薔薇さま』と呼ばれ、尊敬されてきた。
また、『薔薇さま』の妹は『つぼみ』(ブゥトン)と呼ばれ、次期薔薇様がほぼ約束されているのだった。


主人公である祐巳には、密かに想い人がいた。
それは、『紅薔薇さまのつぼみ』(ロサ・キネンシス・アン・ブゥトン)でいらっしゃる、小笠原祥子さまであった。
しかし、それは高嶺の花というもの。
祥子さまは由緒正しいお家の御息女、さらに頭脳明晰に容姿端麗と口に出すのも躊躇われる本物のお嬢様。
一方、祐巳はおつむは平均、見た目も平均、身分は平民と本当に目立たない女の子。
しかし、ある日突然、祥子さまに背後から呼び止められたところから、運命の歯車は回り始めたのであった…

ここまで読んで、情報量の多さにどぎまぎした人も多いと思う。
事実、第一巻を読んだだけではこの作品世界はよくわからないかもしれない。
試しに最初だけ買ってみようと思った人はそのわかりにくさに、ちょっと残念な思いをするかもしれない。
だが、二巻、三巻と進み、世界の概形がわかりはじめると、どんどんこのシリーズは面白くなっていく。
そこにはリリアンの校舎ががあり、お御堂があり、平和な空気があり、そして、様々な娘さんがそれぞれの行動規範に基づいて生活している。
全巻読み終わったところでよく分からなかった第一巻を読むと、それぞれのキャラの内面が分かっているから新鮮な面白さが味わえるのだ。

彼女らは殆どと言っていいほど邪な考えを持たない。
極限まで異物を排斥した女子高の理想系とも呼べる世界で、物語は紡がれていく。
性的なシーンなど全くない。だが、目の肥えた言わばヲタクと呼ばれる人たちはそれを受け入れ、
それを壊すことを望まなかった。これは、二次創作作品に驚くほど18禁が少ないことからもうなずける。
最高まで純度を上げた作品だからこそ、素直に楽しめるのかもしれない。
……性的な交わりを重要視しない同性愛の領域だからこそ、許される芸当であるともいえるだろう。

宣言しよう。
あなたが今この作品に抱いた第一印象は、ほぼ確実に裏切られる。いい意味で、だ。


だからこそ、読めとしか言いようがない。言葉にして伝えるには、あまりにも完成されていて、懐が深すぎるからだ。
きっと、後悔するようなことはない。私は貴方達が羨ましい。何故なら、まっさらな状態からこの作品をこれから楽しむことができるのだから。


それでは、またリリアンの学内でお会いしましょう。

―――ごきげんよう、みなさま。